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誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

初めての被告人質問を終えて

国循サザン事件 裁判

本日、初めての被告人質問が終わりました。

よく「証言台に立つ」と表現される場面ではありすが、実際には座っておりまして・・・。座り心地も悪い。まあそれはさておき、証言台のところに座ってみると裁判官の顔がよく見えるんです。

八田さんの「被告人質問の心得*1を胸に秘めつつ、裁判官をオーディエンスと見立てて頑張ってみました。でも、やっぱりちょっと照れくさかったですね。時折視線を外して話してしまいました。もう少し離れていたらなあ。しかも相手は壇上に居るし。次回は欧米人ばりにがっつりアイコンタクトして頑張ろうと思います。

さて、今日は、私の大学時代の専攻、仕事内容から始まり、平成24年度の国循情報ネットワーク(NCVCネット)運用保守業務委託に関する一般競争入札(本件で問題とされている3つの入札のうち、一番初めの入札=便宜上、入札1といいます)前後の私の行動について、話をしました。

* * * * *

入札1に先だって、平成24年3月上旬ごろにダンテックの高橋社長が国循のサーバ室に見学に来られました(ダンテックは入札1に参加した企業の一つです。他には、当時、すでにNCVCネット運用保守を担当していたNECも参加しました)。その折に高橋さんから「委託の作業量(ボリューム)が分からないので、常駐エンジニアのレベル、専門、配置状況が知りたい」旨の相談があり、私は「現行業務の体制図なら提供できると思う」という話をしました。

ところが、当時、私は国循の「電子カルテ」の担当であり、「NCVCネット」の運用体制を十分に承知していませんでした(平成24年度から担当することになっていました)。そこで、事務方を通じて、当時の担当業者であるNECに現行業務の体制図を入手したいと、お願いをしていたのでした。

しかしその体制図はしばらく私の手元には届きませんでした。結局、それが届いたのが、入札1の当日である平成24(2012)年3月19日の朝だったのです。私はその体制図に「2012年3月時点」と日付が明記されていることから、それが当時の「現行業務の体制図」だと思い込み、その体制図をスキャンしてPDFファイルとし、高橋さん宛のメールに添付して送信したのでした。

この私が送った体制図が、実は、入札1の資料に含まれていた体制図と同じものでした。つまり、これは当時(平成24年3月=平成23年度時点)の現行業務の体制ではなく、平成24年度(次年度)の体制を表した図だったということになります。

では、なぜ平成24年度の体制図に「2012年3月時点」と書かれていたのでしょうか。その図を見てみるとタイトルには「2012年度」と書かれています。よく考えてみれば、これは「2012年3月時点で予定されている2012年4月以降の体制図」ということのようです。いずれにしても、私はそのトリック?に気付くことなく、そのまま高橋さんに送信してしまったのでした。

検察は、この私の行為が「入札1においてダンテックを有利にするための意図的な行為である」と主張しています。

検察がそのように考える根拠の一つが、私がその問題となった体制図をメール送信の3日前(平成24年3月16日)にも目にしていたという事実であろうと思います。

入札1の実施日は平成24年3月19日(月)でした。しかし、入札1への参加意思のある企業は、事前に「入札参加の条件をクリアしている」という認定を国循から受けておく必要がありました。その書類申請の締め切り日が平成24年3月16日(金)だったのです。

平成24年3月16日、入札1の事務処理を担当する中島雅人契約係長が私の執務室を訪れ、入札1への参加意思表明をしてきたNECとダンテックの「入札参加申請書類」を私に手渡しています。その書類の中に、問題となった体制図が含まれていたのです。

この点について、私は、本日の被告人質問において、平成24年3月16日の行動を明らかにしました。子細は省略しますが、当時は午後3時半から4時半すぎまで大阪大学で会議に出席していたこと、大阪大学を出たのは5時すぎであること、国循に戻ったのは5時20分ごろであること、その直後に中島係長が私の執務室にやってきたこと、書類を受け取って数分立ち話をしたこと、午後5時30分ごろに国循職員に宛ててメールを1通返信したこと、午後5時40分には国循を出たこと、午後6時には千里中央で会食に出席したことなどを話しました。

私は平成24年3月16日金曜日の時点で体制図を目にしていたのは確かですが、非常に短い時間の立ち話の間の出来事であり、私としては「2012年3月時点」という日付が決めてとなって、意識がそこまで回らなかったというのが実情です。「年/年度」の表現の違いにも、もう少し注意していれば・・・とは思いますが、実際、気づけなかった部分です。

さらに、別の観点から、私が「ダンテックだけに」体制図を提供したことが、公正を害するのではないか、という論点もあります。これについては、以下が私の考えです。

平成24年3月16日午後5時の時点で入札1への参加意思表明をしていたのはNECとダンテックの二社のみであり、これ以降、いかなる業者も入札1への参加は認められていませんでした。よって、私がダンテックに体制図を送信した平成24年3月19日時点で、入札1に参加できるのはNECとダンテックの二社のみであり、私は、ダンテックにのみ情報を提供することで公平性は担保されると考えていました(NECの体制図は、当然NEC保有しており、わざわざ国循から提供する必要がない)。

確かに、入札に関する質疑は、契約係を窓口とするというのが公式の手続きではありますが、その手続きの趣旨は「すべての参加予定業者に対して公平に情報を伝達する」ということにあります。よって、このような趣旨を踏まえても、上記について問題があったとは考えていません。

* * * * *

次回以降、まだ被告人質問が続きます。ご声援いただいている方々に感謝申し上げます。

またブログに書きたいと思います。

被告人はどこに座るか

国循サザン事件 裁判

半年ぶりにブログを更新します。

私は公判では弁護人席に座っています。傍聴席からみて右側です。しかし、一般的に、被告人は裁判官と向き合って座ることが多いようです。

http://www.courts.go.jp/osaka/l2/l3/l4/vcms_images/Vcms4_00000158/vc5_h4-text-list-01/20120216130811/s_0_vc5_h4-text-list-01_vc5_h4-text-list-text-06_0_vc5_img-01.jpg

この写真は、 大阪地方裁判所大阪家庭裁判所のWebサイトの「法廷の内部」*1に掲載されているものです。こちらに背を向けているのが被告人です。

私の公判の法廷(大阪地裁603号法廷)は裁判員裁判用の法廷のようです。裁判官用の3席に加えて、裁判員用の席は裁判官の周りに配置されています(裁判員はいません)。ですので法廷の大きさはこの写真よりかなり大きくなっています。机上には提示された資料をみるためのモニタが各席分置かれています。資料は書画台を使ってカメラで撮影され、各モニタに配信されます。書画台はワゴンに載せられており、1台しかありません。よって、検察が使うとき、弁護側が使うとき、それぞれの場面の切り替え時にはゴロゴロとワゴンを押して移動させる必要があり、「あ、すみません、私が動かします」などと検察官と弁護士が協力しながら作業しているのを見ると、すこしおかしな感じがします。

裁判官・裁判員側の机上に置かれているモニタは、検察側、弁護側の机上にも置かれています。机の大きさは3人が座れるぐらいの大きさですが、そこに置かれているモニタは一台だけです。

私の公判では、もう一人の被告人と弁論併合されていますので、弁護人席には、被告人2名と弁護人5名の都合7名が座らなくてはなりません。そこで、もともと設置されている机の横に一人用の簡易机を置いて4名座り、その後ろに同じく簡易机を置いて3名座ります。つまり、前列4名、後列3名のフォーメーション(笑)になります。しかしモニタは1台だけですので、ほとんどの人はモニタを見ることができません。とくに、弁護側が尋問する際には、尋問者がモニタをみながら資料が正しくモニタに提示されているかを確認するために、モニタを尋問者に向けておく必要があり、その望ましくない傾向はさらに顕著になります(下図)。

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実は、大阪地裁603号法廷には、検察官席、弁護人席それぞれの後ろの壁の情報に大型モニタが設置されています。そこには各席のモニタと同じものが表示されるしくみですが、私の公判では「プライバシー保護」を理由としてモニタの電源が切られている状態です。公開法廷でさまざまな発言や証言がなされているなか、プライバシーもなにもあったものではないと思うのですが、資料に書かれていることだけプライバシーを守るという、そのバランスの悪さ、そしてそれに気づきもしない当事者たち、というのがとても滑稽に思えます。

ところで、被告人が弁護人席に座るというのは、裁判員裁判ではよくあることのようです。

裁判員裁判では、被告人を弁護人席に座らせる運用は一般化している。しかし、(略)非裁判員裁判ではそうなっていない。*2

私の裁判は「非裁判員裁判」なので、やはり私が弁護人席に座るということは一般的なことではないようです。

 被告人を弁護人に座らせたい理由は2点。①裁判員から見て「お白州式」だと犯罪者扱いに感じるおそれ、②開廷中の弁護人との打ち合わせの必要。

①は私には無関係ですが、②は非常にその必要性がよく分かります。私の場合、公判の最中に弁護人に耳打ちして、事件のポイントを解説することがよくあります。弁護人から確認を求められることもよくあります。

弁護人は私の事件だけを担当している訳ではありません。私の事件はone of manyです。打ち合わせの機会もそれほど頻繁にある訳ではありませんから、ことあるごとになんども繰り返して事件の内容と私の主張を伝えておく必要があります。公判の場所はまさに絶好の機会です。公判中の弁護人との「ささやき」は非常によく記憶に留められていると感じます。

このブログ主は弁護士で担当している裁判で、裁判官に被告人を弁護士席に座らせたいと願い出たが、叶わなかったようです。

敵性証人の反対尋問も打ち合わせてある。それでも、検察官の要旨の告知はいっしょに確認したいし、敵性証人の主尋問をいっしょに聞きたいことがある。裁判長は、このあたりの事情を無視している(後略)。

まさに、こういう勘所の斟酌ができない裁判官がいるということです。決して少数例ではないでしょう。

*1:http://www.courts.go.jp/osaka/kengaku/virtual_tour/04th/index.html

*2:このブログの日付は2014年9月17日。

”被告人による証人尋問”を体験して

国循サザン事件 裁判

第7回公判では,被告人である私自身が証人(検察側証人)の反対尋問を行う場面がありました。

ほとんどの公判において,尋問は,検察官と弁護人によって行われるものです。被告人が尋問を行うことは,制度上許されることであっても,実際にはなかなかあることではないでしょう。

法律を学んだこともなく,法廷のマナーも十分に理解していない私が,本当に法廷に立ち,証人を尋問してよいのか・・・。初めのうちはかなり戸惑いがありましたが,高見秀一弁護士からは「大丈夫ですよ,その方がいいから,そうしてください」とのご意見があり,被告人による反対尋問が実現することになりました。

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邂逅

雑感 国循サザン事件

法廷の休憩時間に,私が廊下を歩いていると,突然,私の後ろから,私の昔のあだ名で呼ぶ声があり,私は驚いて振り向きました。

そこには,すらりとした長身の,私と同年代ぐらいの男性が立っていたのです。

もう一度,彼は「久しぶり」と私に声をかけました。

その姿は,まぎれもなく私の中学時代の同級の親友でした。当時より痩せ,そして当然私と同様,中年となった彼の姿は,わずかながら昔の面影を残していました。

「あ~A君」

彼の名前はすぐに出てきました。最近出会った人の名前は忘れるのですが,やはり子供の頃の記憶は長く残るものです。

A君は,わざわざ名古屋から,私の裁判の傍聴のために駆けつけてきてくれたのです。私たちは,ともに同じ中学同じ部活(吹奏楽部)に所属し,学校の行き帰りもずっと同じでした。そのような仲のよい友人でしたが,中学卒業と同時にそれぞれ違う高校に進学し,その後は10年に1回ぐらい,本当に,ごくたまに会うぐらい疎遠になっていました。彼と最後に会ったのは,およそ15年ほど前で,その後は互いの連絡先がわからなくなっていたのです。

A君は,その後もネットで私の名前を検索しては,私の所在を確認してくれていたようです。それでも,私と連絡を取ることに躊躇があり,そのままになっていたのです。

ある日,A君は,ネットで私の事件を知り,イスから転げ落ちるほど驚いたそうです。すぐに同じ職場の方がこのブログを見つけてくれて,彼は私の記事をみて,公判を傍聴することを決意してくれたのです。本当にありがたく,うれしいことです。

公判日は私に時間の余裕がなく,せっかく出会ったA君と会話することができませんでした。そこで,今日,私は名古屋に出向き,A君と久々に語り合う機会を得ました。気がつけばともに五十路に手が届く年齢となり,周りから見れば「ふたりのおじさんが仲よさそうに話している図」にしか見えなかったでしょうが,当人たちは中学生に戻っていたかのように昔話を楽しみました。

齢を重ねる,ということは,自分の歴史を刻むことであり,その過程で多くの記憶を残します。その記憶には,悲しかったこと,憤りを感じたこと,もたくさんあったはずです。しかし,A君との会話の中でよみがえった記憶には,ふしぎとそのような感覚はありませんでした。むしろ,そのような感情は,いつのまにか楽しかった記憶に変わっていたことに,私は感動を覚えました。

国循官製談合事件(国循サザン事件)で私にかけられた冤罪は,確かに辛く,苦しいものではありますが,これも,いつか楽しい記憶に変わるのだろうな,と予感します。

確かに,傍目にみて,今の私は不幸のどん底にあるように見えるかもしれません。しかし,この事件があったからこそ生まれた出会いには,その不幸を吹き飛ばすほどすばらしいものがあります。

上に挙げたA君のように,旧知の方々との再会もあります。

また,事件の後に得た,新しい出会いもあります。

支援の会は,私が刑事事件で起訴されたことにより休職を余儀なくされた後,とあるコワーキングスペースで偶然知り合った方とのつながりで生まれたものです。私と彼らは,知り合ってからまだ1年も経たない間柄ですが,私にはすでに旧知の仲のような固い絆を感じます。同会のブログ記事をお読みいただければおわかりのとおり,彼らには,私の公判の際,欠かさず裁判所まで足を運んでいただいています。本当に感謝の念に堪えません。

ブログを黙々と読んでくださる方もたくさんいらっしゃると思います。もしよろしければ,私と知り合いの方(もちろん,そうでない方も)Facebookでご連絡ください。少しでも多くの方にこの事件の真相を知っていただきたいと思っています。皆様の声が,私の今後の活動において,大きな心の支えになります。

Facebookをお使いでなければ,支援する会の作って下さったお問い合わせフォームからご連絡ください。(このブログのサイドバーにもリンクがあります)

どうかよろしくお願い申し上げます。


被告人は弁護団の一プレーヤー

国循サザン事件 裁判

刑事事件の弁護人の『選び方』について,私が尊敬してやまない八田隆氏のブログ *1にこのような記載があります。

「高名な弁護士先生に全てをお任せしたい」という人もいれば、私のように「インフォームド・コンセントが重要。自分も弁護団の一員として機能したい」という人もいると思います。

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その6 「被告人ができること 各論(2) 優秀な弁護人を選ぶこと」 7/24/2014

私は,自分が事件に巻き込まれたとわかったとき*2,正直言って,これほど冷静に「弁護士をどうやって選ぶか」について考える余裕はありませんでした。知り合いに弁護士はいないし,そもそも逮捕されてもいないのに弁護士が必要なのか? すらよくわかっていない状況でした*3

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*1:2014年07月24日 - 「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

*2:私が事件を認知したのは,2014年2月の国循に対する強制捜査があったときです。

*3:もちろん,今はよく分かっています。弁護人は逮捕前から選任しておくべきです。そうでなければ,警察や検察のいいなりとなって事実と異なる調書がつくられてしまうことでしょう。

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第3回『国循サザン事件』公判を終えて(本人感想)

国循サザン事件 裁判

昨日の公判は無事終わりました。わざわざ傍聴に来て下さった皆様,Facebookで応援してくださった皆様,ありがとうございました!

今回の証人である調達責任者の西田氏の証言は,私が想定していたものよりもかなり「トーンダウン」していました。

ブログを途中から読み始めた方のために:この事件は,私が官製談合防止法違反という無実の罪の疑いで起訴され被告人となり,現在,大阪地裁で裁判が行われている事件のことです。詳しいいきさつは,「支援する会」のブログ

国循サザン事件―0.1%の真実―

をご覧下さい。

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勾留生活~開かない窓,閉まらない窓~

逮捕・勾留 国循サザン事件

『国循サザン事件』での勾留中の話をつづけます。

ブログを途中から読み始めた方のために:この事件は,私が官製談合防止法違反という無実の罪のかどで起訴され被告人となり,現在,大阪地裁で裁判が行われている事件のことです。詳しいいきさつは,

国循サザン事件―0.1%の真実―

をご覧下さい。

私が大阪拘置所に入っていたのは,2014年11月18日から12月11日の24日間でした。ちょうど寒くなる時期です。下の図は,その間の大阪府の気温を表すグラフです*1

*1:Yahooから数値を拾ってExcelでグラフにしたものです。

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