誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

起訴後勾留は人権侵害である

最近は少しニュースに取り上げられる頻度は減ったが、日産自動車の元会長ゴーンさんの勾留が長引いていると話題になっている。二度の保釈請求が認められなかったからだ。

 

しかし、そんな物当たり前なのが今の刑事司法である。大阪地検特捜部がらみでニュースになった事件で言えば、森友事件の籠池さんだってそうだったし、郵便不正事件の村木さんだって何ヶ月も勾留されていた。否認すれば出してもらえない、いわゆる人質司法の典型である。

 

私の事件も大阪地検特捜部の案件であったが、幸いなことに起訴後の勾留は実質なかった。起訴後すぐの保釈請求が認められたからだ(もちろん検察は最大限抵抗したため1日保釈が遅れた)。

 

そもそも被疑者を有罪にする証拠が揃ったから、いやもっと言えば、証拠を揃えるために人権侵害してまで被疑者を拘束して効率よく捜査を進めた結果、検察は起訴したのだから、起訴後も被疑者(正確にはその時点では被告人)の勾留を続ける理由はないだろう。

 

争点が明確になるまでは十分な証拠が揃っていないかもしれないから、というのは所定の期間内に捜査を尽くせなかった検察の不手際のせいである。人権保護のために勾留期限が決められているのであるから、その範囲で勾留が留められるように任意の段階で捜査を尽くして十分に準備しておくべきである。自分たちの証拠集めに都合が良いからといって、みだりに人を拘束すべきではない。明らかな人権侵害である。

 

とかく刑事司法の運用は、本来の法の理念から乖離しすぎている。しかも一方的に捜査機関側の都合のよい方に歪曲している。これはいち早く是正されなければならない。ゴーンさんの例が国際的批判を浴びていることに対し、日本には日本の歴史や法制度があるなどと嘯く検察であるが、それは哀れな「井の蛙の自分語り」である。外圧に頼るしかない現況は誠に嘆かわしいが、ゴーンさんの事件が黒船となることに期待するしかない。

 

 

 

病院情報システムのプロジェクト、そして次世代のプロジェクトリーダー

先日、仕事先でプロジェクトのキックオフの会に参加してきた。

今月初めに新しく決まった、大学病院のシステム更新の仕事である。

私としては国循を起訴休職となった2014年11月以来、医療情報システム分野では久しぶりの仕事となる。4年のブランクが気になるところではあるが、いずれにしても、これまでのような病院側の立場ではなく、業者側の立場でこのようなプロジェクトに参加するのは初めてのことであるので、初心に立ち返ってやらねばなるまい。身の引き締まる思いである。

病院情報システムに限らず、大型の開発プロジェクトには困難がつきまとう。工数が多いほど関わる人も増え、担当領域ごとにわかれてプロジェクト内に複数のチームができる。チーム内のメンバーも増える。そうすると、チーム内、チーム間のコミュニケーション不足などの理由により想定外の事態が発生する頻度も高くなるし、チームごとのタスクの前後関係・優先関係も複雑になり、そういった問題の最適解を求めるのも容易でなくなる。情報伝達の速度も遅くなる。プロジェクトリーダーが知ったときにはもう手のつけようがない、ということもよく耳にすることである(そもそも問題は隠蔽されやすいのでこれはプロジェクト規模の大小に拠らず発生する)。

 

病院情報システムのプロジェクトの破綻例は枚挙に暇がない。最近では、旭川医科大学の例が記憶に新しいところである。

storialaw.jp

この記事を読むまで私も知らなかったが、旭川医大側の上告は受理されず、判決は平成30年5月11日に「病院側の完全敗北」で決着したようである。

古くは、「九州大学SmallTalk事件」である。

http://drillbits.tumblr.com/post/15664104845/九大病院つまずきの真相-要件定義の甘さが尾を引く

drillbits.tumblr.com

病院業界だけではない、銀行でもある。有名なのは「スルガ銀行」であろう。

tech.nikkeibp.co.jp

上記はいずれも裁判になったものであるが、もちろん、現実には、裁判にならない事例がほとんどであろう。(ちなみに、私が挙げた上記3事件にはいずれも日本IBMが関与しているが、そのことに大きな意味はない)ここまで拗れるのは論外としても、重要な教訓は、業者側にもプロジェクト管理の義務があるという点である。いくらユーザが無茶な要求を積み重ねようとも、プロジェクトが失敗するリスクを背負ってまでそれを受け入れる必要はないということである。

さて、その新しいプロジェクトの、病院側のリーダーは30代の若手である。高校を卒業してすぐに病院の事務職として採用され、いきなり現場にたたき込まれて情報システムのなんたるかを知り、以後ずっとシステム担当を続けているという強者である。ここまで来るのに相当な苦労を重ねてこられたことがうかがえる。私は一回り上であるが、私は社会人を経てこの業界に入ったので、業界のキャリアはほぼ同じである。

キックオフで、そのリーダーが最後に言った言葉は、

プロジェクト成功に導くための基本中の基本として、隠し事をしないでほしい。そこから生まれた綻びがプロジェクトを破綻に至らしめる。自分たちも「モノが言いにくい」環境を作らないように努力するので、どうかよろしくお願いしたい。

正鵠を得た発言である。まさに次世代の医療情報システムを担う人材といえる。実は、私たち業者側のチームのリーダーも彼と同じく30代である。2人の間のコミュニケーションが重要である。何をやって何を捨てるかを決める。そういった局面がこれから出てくるはずである。私は、プロジェクト全体を見て、彼ら2人を支えていかねばならないだろう、そう思わされた瞬間であった。

 

 

 

新たなプロジェクト

私が国循を退職したのは2016年8月である。

自ら望んで退職したわけではなく、国循サザンの裁判が継続中、つまり刑事被告人の立場のまま雇用契約期間の満了を迎えてしまったので如何ともしがたい状況であった。

事実上のキャリアの終焉である。以降、私は医療情報の仕事に携わることはほとんどなかった。事件のことで業界の人たちにはさんざんご迷惑をかけてしまったので、自分にそのような資格があるとは思っていなかったし、なにより、私と一緒に仕事をする方に却って迷惑をかけてしまうことになったら目も当てられないと思ったからだ。

私がやっていた仕事は、医療機関に雇用されて「病院情報システム関連のプロジェクトマネジメント(PM)をする」仕事である。この仕事は、公的機関でのニーズが多い。民間病院では、よほど大きな病院でない限り、そのようなことをするためだけに人をあてがう余裕はなく、システムにかける予算も最小限である(ユーザーにはかわいそうなことではある)。

さて公的機関で雇用されるとなると、当然ながらその身分は公務員に準じたものとなる。ところが公務員(一般職)には欠格事由というものがあり、特定の条件を満たす人は公務員になれない。私の関係でいえば、

禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又はその執行を受けることがなくなるまでの者(国家公務員法第38条2号)

がその欠格事由にあたる(地方公務員にも同様の規則がある)。私は、現時点では「刑に処せられ」ているわけではなく、欠格事由には相当しない。しかし「推定有罪」の原理が働く日本社会においては、刑事被告人を雇用することはすなわち犯罪者を雇用しているようなものなので、このような身分の者を雇い入れるならば「公務に対する国民の信頼が損なわれるのではないか」とする「至極まっとうな」批判を受けること必至である。そこがクリアできたとしても(まずできないが)、裁判が終結し仮に禁錮刑や懲役刑が確定すれば、たとえ執行猶予がついたとしてもその時点で身分を失う。つまり、仕事の途中で、プロジェクトを捨てて突然やめなければいけないことになる。

リスクの塊である。ゆえに、私は、自分が今までやっていたような仕事に戻ることはほぼ不可能である、と思っていた。

ところが、である。よく考えてみれば、PMの仕事をするのに、必ずしも医療機関に雇用されている必要はない。利益相反の観点からいえば雇用されていることが望ましいのであろうが、医療機関から業務委託を受けることや、ベンダー側のPMもアリである(ただし後者は何をPMの目的とするか、という意味で病院側との利益相反はあるだろう)。

そのようなことを漠然と考えているうちに、今年になって、PMをお願いしたい、と言ってくださる「勇気ある」方々が現れた。いずれの方も、旧知ではあるが一緒に仕事をしたことのない方たちである。一方は今月になって正式に話がまとまり、他方はこれからであるが、すでにお客様である病院との関わりは始まっている。まさに僥倖である。

私のような者に社会での活躍の場を与えてくださろうとする、その心意気に感謝したい。行動していただけることのありがたさ、である。「裁判がおわったら、ぜひ」「おちついたら、ぜひ」「無罪になったら、ぜひ」「なにかあったら、ぜひ」などと言ってくださるのも嬉しいのであるが(言ってくださる方に悪気がないのは重々承知のうえで)、残念ながら、それは私の「生きる力」には結びつかない。

落ちた人間に未来を考える余裕はない。日々絶望感に苛まれる今しかないのである。今、手を差し伸べて、私を助けようとしてくださる方々に唯々感謝したい。

検察側証人の《切り込み隊長》斬られる。

下記の記事をFacebookにエントリした。その趣旨は「してやったぜ!」ということを示すためではない。

彼が検察側尋問に対して行った証言は、検察官が取り調べで作成した調書の趣旨にほぼ沿ったものであったと思う。彼は「証人テスト」も受けていたので、そうなったのも当然だろうと思う。

しかし問題は、その調書が、いかに偏ったものであったか、である。もし、弁護側がその調書の証拠採用に同意していればどうなっていたであろうか。

彼は証人として法廷に立つこともなく、まちがいなく真実は闇に埋もれたままであったであろう。

世を騒がせる冤罪事件では、警察や検察の証拠隠しが話題になることがあるが、それは決して、「偶然、担当した警察官や検察官が悪いことをした」わけではない。

捜査側の意識として、見せたくない証拠を隠すのが《デフォルト=規定値》なのだ。

そしてそれは、被告人本人を合わせてもたかが数名しかいない、資金も時間も限られた弁護団の手によってでしか、明らかにされないのだ。

捜査機関は、税金を使って、大量の資金と人材とを投入し、いつまでも時間をかけて丹念に証拠を調べることができる。その間、かれらの給与は当然のように支払われる。

他方、被告人は拘束され、職を失っていることが普通である。公判や公判前整理手続きに、時間がかかればかかるほど、生活は苦しくなり追い込まれる。弁護団は、雀の涙ほどの報酬で、必死になって弁護活動をしなければならない。

これほど不公平なことがあろうか。それを少しでも緩和するはずの「立証責任は検察に」「推定無罪の原則」は、法の実務においては、ないがしろにされている。公判が始まっても、裁判官の被告人に対する心証は真っ黒から始まり、被告人の証言は信用されない。検察の、可能性を尽くさない、不十分な立証であっても、易々と追認する。場合によっては、検察の立証を補ってみせる裁判官もいる。

なぜ、弁護側が、必死になってまで、捜査機関により意図的に隠された証拠を明らかにしなければならないのか。その《おかしさ》に気づいてほしい。

 

ここに出てくる事務方は、検察が最も頼りにしていた重要証人3人のうちの1人。彼は当然のように検察側証人のトップバッターであり、まさに「切り込み隊長」であった。

検察側尋問において、彼は、国循の調達事務の責任者らしく、いかにも堂々とした態度で、はきはきと、「仕様書の作成に、特定の業者のみ関与させるのは不正」「そのような行為は政府調達のルールに反している」「国循は政府調達のルールに従わなければならない」などと、入札の「あるべき論」を証言した。

しかし、弁護側の尋問が進むにつれ、彼の口調はトーンダウンし、言いよどみ、不明確な発言が続くようになった。

  • 彼自身が、過去に「特定の業者のみを関わらせて仕様書を作成」していたことが明らかとなった。
  • 彼自身が「国循が従うべき」政府調達のルールを「勘違い、まあ失念して」、仕様書について公平に業者の意見を聞く機会である「意見招請」が行わなかった。その結果、本事件の入札の仕様書が「特定の業者のみ関与」して作成されてしまったことが明らかとなった。

これらは、弁護団が、彼の過去のメールを徹底的に調査して明らかにした事実である。

切り込み隊長が、周到に準備を重ねた弁護団の鋭い「刀」によって、無残にも返り討ちにあった瞬間であった。

 

 

やっていない罪を認めるわけがない、と思いますか。

「やっていない罪を認めるわけがない、と思いますか。勾留されて取り調べを受けてごらんなさい。あなたもいちころですよ」

 ある冤罪(えんざい)事件をめぐる集会で、虚偽自白を研究する心理学者に言われた。

 一人にされて厳しく追及されるうち、早く逃れたいと思う。そして心がささやく。もういいよ、楽になろう、と。

 それでも、証拠や証言の中には「真実」を示すものがある。しかし、なかったことにされたり、ゆがめられたり。いずれにせよ、真実が明らかになる機会は奪われる。

 数々の冤罪事件が雄弁に、そのことを物語る。

 熊本で起きた「松橋(まつばせ)事件」がそうだ。法廷で無実を訴えながら、殺人罪で服役した宮田浩喜さん(84)の請求を受け、熊本地裁は昨年6月、再審開始を認める決定をした。捜査段階の自白の信用性を揺るがす新証拠が、検察の保管物の中から出てきたのだ。偶然、弁護側が見つけた。

 地裁の決定に対し、検察側が即時抗告、つまり異議を申し立てたため、審理の場は福岡高裁に移った。先月、高裁は「宮田さんは犯人でない疑いがある」との判断を示し、裁判のやり直しを認めた。

 当然の結果だろう。検察はこれまでの主張を繰り返すばかりで、有効な反論をしていない。何のための即時抗告だったのか、理解に苦しむ。

 これが検察の言う「社会正義」なのか。この間に宮田さんは認知症が進み、一緒に再審請求した長男は病死してしまった。そもそも新証拠を含むすべてが最初から開示されていれば、服役することもなかったはずだ。

 静岡地裁が再審開始を決定した袴田事件袴田巌(いわお)さん、鹿児島の大崎事件の原口アヤ子さんについても同じことが言える。ともに高齢で、体調の悪化が心配される。

 すみやかに裁判をやり直すべきだ。検察はそこで主張を展開すればいい。それが「社会正義」にかなう形だ。


https://www.kobe-np.co.jp/column/nichiyou/201712/0010784654.shtml(2021/04/02時点でリンク切れのため、https://web.archive.org/web/20190131054102/https://www.kobe-np.co.jp/column/nichiyou/201712/0010784654.shtml から取得。)

私が勾留中に大阪地検特捜部の取り調べを受けたときは可視化されていたのでずいぶん精神的に助かった。取り調べ検事の口調が任意段階のそれよりも随分優しく、柔らかく変わったからだ。こちらが黙秘していると取り調べの時間はどんどん短くなっていき、勾留期限直前には1時間もないぐらいであった。可視化されていなければ、毎日長時間の取り調べが続けられ、ありとあらゆる手段で「落としに」かかられていただろうと思う。

それであっても、毎日の取り調べは大変辛く、20日間が何と長く感じられたことか。極端にいえば、取り調べさえなければ、勾留などいくら続いたところで大したことない(暑さ・寒さを除けば)とさえ感じられたほどであった。

そういった心理は、そういう経験のない一般人には理解できないであろう。経験した私ですら、当時の辛かった状況を100%思い出せている自信がなくなってきている。

初めての被告人質問を終えて

本日、初めての被告人質問が終わりました。

よく「証言台に立つ」と表現される場面ではありますが、実際には座っておりまして・・・。座り心地も悪い。まあそれはさておき、証言台のところに座ってみると裁判官の顔がよく見えるんです。

八田さんの「被告人質問の心得*1を胸に秘めつつ、裁判官をオーディエンスと見立てて頑張ってみました。でも、やっぱりちょっと照れくさかったですね。時折視線を外して話してしまいました。もう少し離れていたらなあ。しかも相手は壇上に居るし。次回は欧米人ばりにがっつりアイコンタクトして頑張ろうと思います。

さて、今日は、私の大学時代の専攻、仕事内容から始まり、平成24年度の国循情報ネットワーク(NCVCネット)運用保守業務委託に関する一般競争入札(本件で問題とされている3つの入札のうち、一番初めの入札=便宜上、入札1といいます)前後の私の行動について、話をしました。

* * * * *

入札1に先だって、平成24年3月上旬ごろにダンテックの高橋社長が国循のサーバ室に見学に来られました(ダンテックは入札1に参加した企業の一つです。他には、当時、すでにNCVCネット運用保守を担当していたNECも参加しました)。その折に高橋さんから「委託の作業量(ボリューム)が分からないので、常駐エンジニアのレベル、専門、配置状況が知りたい」旨の相談があり、私は「現行業務の体制図なら提供できると思う」という話をしました。

ところが、当時、私は国循の「電子カルテ」の担当であり、「NCVCネット」の運用体制を十分に承知していませんでした(平成24年度から担当することになっていました)。そこで、事務方を通じて、当時の担当業者であるNECに現行業務の体制図を入手したいと、お願いをしていたのでした。

しかしその体制図はしばらく私の手元には届きませんでした。結局、それが届いたのが、入札1の当日である平成24(2012)年3月19日の朝だったのです。私はその体制図に「2012年3月時点」と日付が明記されていることから、それが当時の「現行業務の体制図」だと思い込み、その体制図をスキャンしてPDFファイルとし、高橋さん宛のメールに添付して送信したのでした。

この私が送った体制図が、実は、入札1の資料に含まれていた体制図と同じものでした。つまり、これは当時(平成24年3月=平成23年度時点)の現行業務の体制ではなく、平成24年度(次年度)の体制を表した図だったということになります。

では、なぜ平成24年度の体制図に「2012年3月時点」と書かれていたのでしょうか。その図を見てみるとタイトルには「2012年度」と書かれています。よく考えてみれば、これは「2012年3月時点で予定されている2012年4月以降の体制図」ということのようです。いずれにしても、私はそのトリック?に気付くことなく、そのまま高橋さんに送信してしまったのでした。

検察は、この私の行為が「入札1においてダンテックを有利にするための意図的な行為である」と主張しています。

検察がそのように考える根拠の一つが、私がその問題となった体制図をメール送信の3日前(平成24年3月16日)にも目にしていたという事実であろうと思います。

入札1の実施日は平成24年3月19日(月)でした。しかし、入札1への参加意思のある企業は、事前に「入札参加の条件をクリアしている」という認定を国循から受けておく必要がありました。その書類申請の締め切り日が平成24年3月16日(金)だったのです。

平成24年3月16日、入札1の事務処理を担当する中島雅人契約係長が私の執務室を訪れ、入札1への参加意思表明をしてきたNECとダンテックの「入札参加申請書類」を私に手渡しています。その書類の中に、問題となった体制図が含まれていたのです。

この点について、私は、本日の被告人質問において、平成24年3月16日の行動を明らかにしました。子細は省略しますが、当時は午後3時半から4時半すぎまで大阪大学で会議に出席していたこと、大阪大学を出たのは5時すぎであること、国循に戻ったのは5時20分ごろであること、その直後に中島係長が私の執務室にやってきたこと、書類を受け取って数分立ち話をしたこと、午後5時30分ごろに国循職員に宛ててメールを1通返信したこと、午後5時40分には国循を出たこと、午後6時には千里中央で会食に出席したことなどを話しました。

私は平成24年3月16日金曜日の時点で体制図を目にしていたのは確かですが、非常に短い時間の立ち話の間の出来事であり、私としては「2012年3月時点」という日付が決めてとなって、意識がそこまで回らなかったというのが実情です。「年/年度」の表現の違いにも、もう少し注意していれば・・・とは思いますが、実際、気づけなかった部分です。

さらに、別の観点から、私が「ダンテックだけに」体制図を提供したことが、公正を害するのではないか、という論点もあります。これについては、以下が私の考えです。

平成24年3月16日午後5時の時点で入札1への参加意思表明をしていたのはNECとダンテックの二社のみであり、これ以降、いかなる業者も入札1への参加は認められていませんでした。よって、私がダンテックに体制図を送信した平成24年3月19日時点で、入札1に参加できるのはNECとダンテックの二社のみであり、私は、ダンテックにのみ情報を提供することで公平性は担保されると考えていました(NECの体制図は、当然NEC保有しており、わざわざ国循から提供する必要がない)。

確かに、入札に関する質疑は、契約係を窓口とするというのが公式の手続きではありますが、その手続きの趣旨は「すべての参加予定業者に対して公平に情報を伝達する」ということにあります。よって、このような趣旨を踏まえても、上記について問題があったとは考えていません。

* * * * *

次回以降、まだ被告人質問が続きます。ご声援いただいている方々に感謝申し上げます。

またブログに書きたいと思います。

被告人はどこに座るか

半年ぶりにブログを更新します。

私は公判では弁護人席に座っています。傍聴席からみて右側です。しかし、一般的に、被告人は裁判官と向き合って座ることが多いようです。

http://www.courts.go.jp/osaka/l2/l3/l4/vcms_images/Vcms4_00000158/vc5_h4-text-list-01/20120216130811/s_0_vc5_h4-text-list-01_vc5_h4-text-list-text-06_0_vc5_img-01.jpg

この写真は、 大阪地方裁判所大阪家庭裁判所のWebサイトの「法廷の内部」*1に掲載されているものです。こちらに背を向けているのが被告人です。

私の公判の法廷(大阪地裁603号法廷)は裁判員裁判用の法廷のようです。裁判官用の3席に加えて、裁判員用の席は裁判官の周りに配置されています(裁判員はいません)。ですので法廷の大きさはこの写真よりかなり大きくなっています。机上には提示された資料をみるためのモニタが各席分置かれています。資料は書画台を使ってカメラで撮影され、各モニタに配信されます。書画台はワゴンに載せられており、1台しかありません。よって、検察が使うとき、弁護側が使うとき、それぞれの場面の切り替え時にはゴロゴロとワゴンを押して移動させる必要があり、「あ、すみません、私が動かします」などと検察官と弁護士が協力しながら作業しているのを見ると、すこしおかしな感じがします。

裁判官・裁判員側の机上に置かれているモニタは、検察側、弁護側の机上にも置かれています。机の大きさは3人が座れるぐらいの大きさですが、そこに置かれているモニタは一台だけです。

私の公判では、もう一人の被告人と弁論併合されていますので、弁護人席には、被告人2名と弁護人5名の都合7名が座らなくてはなりません。そこで、もともと設置されている机の横に一人用の簡易机を置いて4名座り、その後ろに同じく簡易机を置いて3名座ります。つまり、前列4名、後列3名のフォーメーション(笑)になります。しかしモニタは1台だけですので、ほとんどの人はモニタを見ることができません。とくに、弁護側が尋問する際には、尋問者がモニタをみながら資料が正しくモニタに提示されているかを確認するために、モニタを尋問者に向けておく必要があり、その望ましくない傾向はさらに顕著になります(下図)。

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実は、大阪地裁603号法廷には、検察官席、弁護人席それぞれの後ろの壁の情報に大型モニタが設置されています。そこには各席のモニタと同じものが表示されるしくみですが、私の公判では「プライバシー保護」を理由としてモニタの電源が切られている状態です。公開法廷でさまざまな発言や証言がなされているなか、プライバシーもなにもあったものではないと思うのですが、資料に書かれていることだけプライバシーを守るという、そのバランスの悪さ、そしてそれに気づきもしない当事者たち、というのがとても滑稽に思えます。

ところで、被告人が弁護人席に座るというのは、裁判員裁判ではよくあることのようです。

裁判員裁判では、被告人を弁護人席に座らせる運用は一般化している。しかし、(略)非裁判員裁判ではそうなっていない。*2

私の裁判は「非裁判員裁判」なので、やはり私が弁護人席に座るということは一般的なことではないようです。

 被告人を弁護人に座らせたい理由は2点。①裁判員から見て「お白州式」だと犯罪者扱いに感じるおそれ、②開廷中の弁護人との打ち合わせの必要。

①は私には無関係ですが、②は非常にその必要性がよく分かります。私の場合、公判の最中に弁護人に耳打ちして、事件のポイントを解説することがよくあります。弁護人から確認を求められることもよくあります。

弁護人は私の事件だけを担当している訳ではありません。私の事件はone of manyです。打ち合わせの機会もそれほど頻繁にある訳ではありませんから、ことあるごとになんども繰り返して事件の内容と私の主張を伝えておく必要があります。公判の場所はまさに絶好の機会です。公判中の弁護人との「ささやき」は非常によく記憶に留められていると感じます。

このブログ主は弁護士で担当している裁判で、裁判官に被告人を弁護士席に座らせたいと願い出たが、叶わなかったようです。

敵性証人の反対尋問も打ち合わせてある。それでも、検察官の要旨の告知はいっしょに確認したいし、敵性証人の主尋問をいっしょに聞きたいことがある。裁判長は、このあたりの事情を無視している(後略)。

まさに、こういう勘所の斟酌ができない裁判官がいるということです。決して少数例ではないでしょう。

*1:http://www.courts.go.jp/osaka/kengaku/virtual_tour/04th/index.html

*2:このブログの日付は2014年9月17日。