誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

わが心のバイブル―『取調べを受ける心がまえ』②~検事にいわれてつらかったこと~

前回のブログでは,身体拘束されている勾留中の取り調べは長くつらいもの,と書きました。

しかし,自分の身が自由にならないから,という理由だけで,取り調べがつらいのではありません。これにくわえて,取り調べには,

あなたの言い分を、取調官に分かってもらえる、という期待をもってはいけません。
取調官は、あなたがほんとうのことを言っても、とにかく疑ってかかるようにと教育を受けてきたからです。「ほんとうのことを言えば、分かってもらえる」と思っていた無実の人が、どんなに言っても、信じてもらえなかったことに絶望し、ウソの自白に至ってしまうことは非常に多いのです。(『取調べを受ける心がまえ』*1

という状況があります。

取り調べは,単なる「質疑応答」の場ではありません。何を言っても聞いてもらえない,「ウソをついている」「本当のことを言え」と言われ続ける。このような場が,いつ始まるか分からない,始まったらいつ終わるか分からない。通常の日常生活を送っている人は,このような状況を想像することさえ難しいでしょう。たしかに数日なら耐えられるかもしれません。しかし20日以上続くと考えたら・・・。まさに,

 調べは山登りやマラソンのように長くつらいもの(引用元同上)

なのです。

検察官は取り調べのプロです。私は,勾留後の取り調べでは黙秘することを決めていましたが,雑談には応じていました。私の担当検事は,雑談のなかに巧みに事件のことを絡めて問いかけをしてきました。それは,まあ想定できる範囲のことです。

しかし,私が一番堪(こた)えたのは,その検事に,

今回の事件で,あなたは自分の周りの人にどれだけ迷惑をかけたかわかっているのですか。あなたが本当のことを言わないから,われわれは,これからもまたあなたの周りの人たちを調べなくてはいけないんですよ。

と言われたことです。実際,今回の事件で検察の取り調べを受けた知人はかなりの数に上っていました。

この検事の言葉からにじみ出る狡猾さをご理解いただけるでしょうか。担当検事は,

  • 私がウソをついている

と決めつけたうえで,

  • 自白しないかぎり,まだこれからも,私の知り合いを検察にしょっ引いて絞り上げるぞ

と言って,私に自白を迫っているのです。人間だれしもそうだと思うのですが,自分に降りかかる災難は我慢できても,自分のせいで,なんの関係もない自分の家族や友人,同僚達にそれが降りかかるのだと考えると,居ても立ってもいられない気持ちになります。事実,私の周りには,「犯人扱い」の取り調べを受け,心に深い傷を負った人もいたのです。当時の私は,20回以上に及ぶ,勾留前の任意の事情聴取の段階ですべて知っていることを話しており,それ以上話すことは何もない状態でした。私が「これ以上まわりに迷惑をかけたくない」と思うならば,まさに私は虚偽の自白をするしかない状況にありました。(次回につづく)

国循官製談合事件,いわゆる国循サザン事件について知りたい方は,こちらのサイトをごらんください。↓

southerncase.shig.org