誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

わが心のバイブル―『取調べを受ける心がまえ』③~なぜ検察は知りたがるのか~

前回のブログでは,取り調べがいかにつらいものか,ということを私の体験を交えて書きました。

では,どうやって取り調べに向き合えばよいのでしょうか。

そこで,バイブル*1の登場です*2。バイブルでは,被疑者の心がまえとして,つぎのようにアドバイスしています。

 被疑者となってしまった以上、発想を変えなければいけません。
「彼らは、疑うのが仕事なんだ」
「本当のことを言っても伝わらないのはあたりまえだ」
と思ってください。そう思えば、絶望することもありません。

不安になる必要はありません。言いたいことを言うチャンスはいくらでもあります。必要な言い分は、弁護人から伝えることも可能です。しかし、取調官は、決められた期間のうちに、捜査を終えなければなりません。彼らは否認されて、調書がとれないことを実は大変怖がっています。

 また,自白を強要されたとしても,

しゃべりたくないことがあれば
「言いたくありません」
「しゃべりません」
「黙秘します」
と言えばよいのです(憲法38条、不利益供述強要の禁止)。
あるいは、何も言わず、
ただ、黙っている
だけでよいのです。「しゃべらない」理由も言う必要はありません 。

という態度を取ればよい,とあります。

私は,本当にこれらの言葉に助けられたと思います。実際のところ,目の前にいる検察官を無視して黙秘を貫くのはとてもしんどいことです。しかし,

  • この人に説明しても仕方がない。裁判官に話を聞いてもらおう。
  • 話さない理由を説明する必要はない。ただ黙っているだけでよい。

と自分に言い聞かせることで,長くつらい取り調べを何とも思わなくなるものです。*3

とはいえ,検察官もプロです。彼も,手を変え品を変えて,なんとか私を吐かせようから情報を得ようと試みます。私の取り調べ担当検事は,

私はほかの検察官とは違うんです。(この後,いかに彼が事実を見極める力があるか力説。笑わせるのもいい加減にして欲しい。中略)ここで,桑田さんが,まだ私たちの気付いていないことを話してくれれば,責任をもってそれをちゃんと調べますから。桑田さんを起訴すると決まったわけではないんです。起訴されないということもありますから。

という誘いの言葉をかけてきました。というのも,私自身,この事件の事実関係をかなり詳細に調べていましたので,検事は「もしかして,自分たちが知らないようなことを桑田は知っているのではないか」と疑心暗鬼になっているようなのでした。

人間というのは,情けないもので,目の前にいるのがどんなに嫌な人間であっても,バイブルにあるような

人間というものは、一つ相手に譲ってもらうと、こちらも譲ってあげないといけないような気持ちになってしまいます

という感情を持ってしまったり,「調書を一つも取れなくてかわいそうだな。主任検事にしかられるのかな」などというつまらない妄想をしてしまったりするものです。

そこで,私は一瞬の間「そうだな,それなら黙秘しなくてもいいかな」と考えてしまいましたが,そのときに,バイブルの言葉

被疑者の弁解を聞いた上で、その弁解をわざとにつぶしてしまうような捜査が行われることもよくあります。

を思い出して,ぐっとこらえました。これは,彼らが,私の供述を元に,その裏を取るのではなく,私の供述と矛盾する証拠を集めて私の反証を防ぐ,ということを意味します。つまり,彼らは,公判を維持するために,彼らにとって不利(=私にとって有利)になりうる情報をできるだけ早く得て,「その対策を準備したうえで」公判に臨むということがよくある,というのです。

事実,このような持ちかけが検事からあった旨を,私の弁護人に話してみたところ,

こんな(マスコミにも大々的に報道されるような)事件で,検察が『逮捕しましたけど起訴しませんでした』なんてこと絶対ありえないです。

逮捕前なら,逮捕や起訴を避けるために,検事に話すというのは合理的ですが,もはや逮捕され勾留されてしまった今となっては,検事に話すことに害はあれ一利もありません。話すのであれば,公判で,桑田さんの口から直接裁判官に説明しましょう。

と当然のごとく一蹴されてしまいました。

確かに,マスコミの記者からは,『検察が被疑者を逮捕する前には,相当上のレベルまで決裁を取るものだ』という話を聞いていました。それが事実であれば,当然,上層部は起訴できると踏んでいるわけですから,検察はメンツをかけて意地でも起訴するでしょう。天地がひっくり返るような証拠でもあれば別ですが,そんな明々白々な証拠を私が隠し持っているわけもありません。あれば,当然,逮捕前に検事に話しています。

さて,ここまでの話を読んで,

でも,真実を話すのであれば,その話と矛盾する証拠など出てくるわけがないじゃない。正々堂々と話すべきだったのではないのか?

と思う人がいると思います。それは大きな間違いです。(次回につづく)

国循官製談合事件,いわゆる国循サザン事件について知りたい方は,こちらのサイトをごらんください。↓

また,私を支援して下さっている八田さんのブログにも国循サザン事件について記事が掲載されています。ぜひお目通しください。↓

fugathegameplayer.blog51.fc2.com

*1:『取調べを受ける心がまえ』http://shin-yu-lawoffice.com/miwa-akitanote.pdf

*2:この記事ではバイブルと呼びますが,もちろん,これはキリスト教における聖書の意味ではありません

*3:ただし,繰り返しになりますが,取り調べが可視化されていたからこそ,耐えられたのだと思います。もし,暴言を吐かれたり,何時間も連続して取り調べを受けていたなら,どうなっていたかはわかりません