誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

わが心のバイブル―『取調べを受ける心がまえ』⑤~供述調書に納得すれば署名していい?~

今回は,私の心のバイブル*1の神髄部分,『供述調書』について書きます。

この『バイブル』で,著者ら(岐阜弁護士会美和勇夫弁護士と大阪弁護士会秋田真志弁護士)が最も言いたいことは,間違いなく

  • 納得できない供述調書に署名をする必要はない

ということです。『バイブル』にはこうあります:

作成される調書は、最後にみせてもらった上、よく読んでもらって、違ったことが(ニュアンスも含めてです)書かれていたら、署名押印をしてはいけません。調書は、録画・録音のように、あなたの言い分を正確に記録するものではありません。取調官が、あたかもあなた自身が話した言葉であるかのように、まとめて作文してしまいます。あなたの言ったことや思っていることとは違う内容になることはよくあるのです。

このことは,弁護士の方々にとって至極当たり前のことなのですが,われわれ一般人には今ひとつピンとこないものです。私自身も,今となってみれば,この言葉の重要性は痛いほどわかります

検事が作成し,被疑者が署名した供述調書(検面調書)は,裁判所に証拠として提出されうるものです。この供述証書を証拠として採用するかどうかは裁判所の判断になりますが,もし,「あの供述は間違っていた」と公判の場で申し立てたとしても,まずその主張は通らないものなのです。『バイブル』にはこうあります:

警察、特に検察庁の取調の段階で、『間違った自白調書』が作られてしまうと、後で裁判所での裁判手続に入ってから、
「あれは間違っていました」
と言ってひっくり返すのは非常に困難となります(95%は通りませんよ!)
残念ながら、多くの裁判官は、被告人の言い分を信用してくれません。 

検面調書では,事件に関わる事柄の,いわゆる5W1H(いつ,どこで,だれが,なにを,なぜ,どのように)が書かれます。調書を作るのは検事です。最大の問題は,

  • 本当は検事の作文であるのに,あたかも供述者が自分で語ったような口調で書かれること
  • 記憶の曖昧な,過去の時点(事件当時)の認識が書かれること 

 です。つまり,調書の中身は,

 

私は,あのとき,この場所で,この人と,あんなことをこんなふうにしました。それはこういう理由だからです。また,そのとき,あの人は

 

「○○ですね」

 

といいました。

というような形式になっていて,非常に迫真性があります。調書だけを読んでいると,本当に一字一句そのままのことを供述したかのように思えるのです。さらに,問題は,それが調書が作成された時点の,過去に関する認識であり,実際には非常に曖昧なものである,ということが忘れられる(私に言わせれば,意図的に考えないようにしている)ということです。

人間,そのときはそれが正しいと思って供述し,「あとで絶対に変わることがない」と思って署名したとしても,あとで「やっぱり少し違うな」ということはだれしもありうることです。また,署名した調書をよくよく読み返すと,若干ニュアンスが違うということもよくあります。しかし,いったん署名してしまえば,それは被疑者が語ったことそのものとして認識されます

私は,『国循サザン事件』で合計5つの調書に署名しました。すべて任意の取り調べ時に作成されたもので,勾留後は1通もありません。10ヶ月にも及ぶ捜査機関を考えるととても少ない数です。これは,私が『バイブル』を熟読して,納得するまで調書にサインしなかった結果ですが,その私でさえ,今,自分の署名した検面調書を読み返すと,

なんでこんな表現でよいと思ったのかな

と思う箇所がいくつもあります。それほど人間の認識は変わるものです。

公判を前提とするならば,弁護人の立場からすると,被疑者の調書は1通もない方がいいでしょう。被疑者の供述内容は,前回のブログで述べた通り,徹底的につぶされたうえで起訴に持ち込まれます。マイナスからのスタートです。

しかし,逮捕前の任意の取り調べのときに,調書を作らせるかどうかは悩ましいところだと思います。被疑者が調書の署名を拒否すると,「捜査を効率的に進めるために」逮捕されることもあるからです(タテマエとしてそのような逮捕理由は存在しないのですが)。私は,調書に署名するにあたって,かならず弁護人に確認をとっていましたが,都合5通の調書作成に応じたのも,弁護人のそのような配慮が働いたからだと思います。

バイブルには,

法的には、取調官の方が、あなたに署名押印をお願いできるだけなのです(刑事訴訟法198条5項には「被疑者が、調書に誤のないことを申し立てたときは、これに署名押印を求めることができる」と書いてあります。さらに、「但し、これを拒絶した場合はこの限りでない」とも書いています。つまり、あなたが拒絶すれば、取調官は、それ以上にどうすることもできないのです)。

とあります。私には,まだ,この表現では弱いように感じます。私からは,

よほどのことがないかぎり,調書への署名は拒否しましょう 

ぐらいのことは言いたいです。「納得すれば署名していい」と考えるのは甘く,たとえそのとき納得していたとしても,あとで署名したことを後悔することもよくある,ということを覚えておいていただきたいものです。(次回につづく。次回がこのシリーズ最終回です)

国循官製談合事件,いわゆる国循サザン事件について知りたい方は,こちらのサイトをごらんください。↓

southerncase.shig.org

 

また,私を支援して下さっている八田さんのブログにも国循サザン事件について記事が掲載されています。ぜひお目通しください。↓

fugathegameplayer.blog51.fc2.com

*1:『取調べを受ける心がまえ』http://shin-yu-lawoffice.com/miwa-akitanote.pdf