誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

勾留生活でいちばんつらかったこと

今回は,いったん『国循着任直後に直面した課題シリーズ』を離れて,別の話題で記事を書きます。

ブログを途中から読み始めた方のために:この事件は,私が官製談合防止法違反という無実の罪のかどで起訴され被告人となり,現在,大阪地裁で裁判が行われている事件のことです。詳しいいきさつは,

国循サザン事件―0.1%の真実― | 国循官製談合事件の容疑者として起訴された桑田成規さんを支援します

をご覧下さい。

私は『国循サザン事件』で無実の罪の疑いをかけられ逮捕され,大阪拘置所に24日間勾留されました。勾留開始とほぼ同時に接見禁止処分に付され,弁護士以外との面会はできない状況でした。

 ほぼ3畳ほどの部屋に押し込められ,窓はあるがすぐ外に立ててある鉄製のブラインドで外はみえず,おまけに窓ははきちんとしまらず,明かりは常時つきっぱなし,天井には自殺防止の監視カメラがある。そんな部屋での24日間で一番つらかったことは,皆さん,何だったと思われますでしょうか。

ちょうど,元大阪地検特捜部検事の前田氏のブログに,大阪拘置所の自殺防止房のイメージ図が掲載されていました。下に引用します。

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元特捜部主任検事の被疑者ノート(17) ~逡巡編[2] <拘置所における知られざる独自のルール>(前田恒彦) - Yahoo!ニュース

私もほぼ同じ場所にいたはずなのですが,私のいた部屋は,この図で示されるような,3畳+αの広さではありませんでした。ちょうど,この図で,脱衣かごが置いてある畳がない,2畳+αの部屋です。間違いありません。なぜなら,就寝時,布団を,この図の横方向に敷き,頭を廊下側に向けて寝る(そうする規則なのです)のですが,そうすると,頭のすぐ横がトイレだったからです。この図ほど広くはありません。

この図の縦方向も,もっと狭いですね。なんだかこの図だと,縦方向にも布団が敷けてしまいそうな感じですが,それはできないぐらいの広さ(狭さ)です。

他の部分は上下反転している以外,私のいた部屋とまったく同じですので,前田氏が勘違いしているか,元検事の彼は特別扱いだったか(笑)?ということになります。

実は,私は,保釈が決まった日のお昼に,それまでいた古い建物から,新築の建物の部屋に移動していました。その日の夜に保釈となり外にでましたから,新しい部屋を満喫したのはわずか数時間だけなのですが,その新しい部屋は3畳+αでした。しかし,トイレが廊下側ではなく,窓側にありました。

さて,本題にもどります。このような環境で過ごしたときに,何が一番つらかったのだろうか?ということです。

私の場合は,身動きがとれないような狭さでも,身を刺すような寒さ(当時は冬で窓が閉まらないのは外にいるのと同じぐらい寒かったです)でもなく,

時計がない=時刻がわからない

ことが一番の辛さでした。

日中は決まった時刻にチャイムがなるので,まだいいです。少しだけですが生放送のラジオもスピーカーから流れてくる時間帯もあります。辛いのは,就寝後,翌日の起床時刻までの夜の時間帯です。まったく時刻を知る手段はありません。

慣れない環境で床に就くものの,明かりは「消灯」ではなく「減灯」であって,ずっと照明がついている部屋です。しかも頭の横にはトイレです。布団を頭までかぶることは規則上許されていません。眠れないまま時間が経つのをただ待っている。うとうとした後に,ハッと目覚めて,わずかに窓から見える外をみるとまだ真っ暗。

いつ,夜が明けるんだろう

と,今,何時かを知ることもできず,まんじりともできずに過ごす夜。

私には,この時間がとても長く感じられました。

「超インドア派」を自称する私にとって,ずっと同じ場所に居続けることは苦ではありませんでした。正直,新築の部屋に移ったときは,あまりに快適で,このまましばらく居させてもらおうかなとも思ったぐらいでしたが,あの夜の体感時間の長さは,もう戻りたくないと私に思わせるものでした。

 

↓現在進行中の冤罪事件『国循サザン事件』についてくわしく知りたい方はこちらからどうぞ。

southerncase.shig.org