誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

邂逅

法廷の休憩時間に,私が廊下を歩いていると,突然,私の後ろから,私の昔のあだ名で呼ぶ声があり,私は驚いて振り向きました。

そこには,すらりとした長身の,私と同年代ぐらいの男性が立っていたのです。

もう一度,彼は「久しぶり」と私に声をかけました。

その姿は,まぎれもなく私の中学時代の同級の親友でした。当時より痩せ,そして当然私と同様,中年となった彼の姿は,わずかながら昔の面影を残していました。

「あ~A君」

彼の名前はすぐに出てきました。最近出会った人の名前は忘れるのですが,やはり子供の頃の記憶は長く残るものです。

A君は,わざわざ名古屋から,私の裁判の傍聴のために駆けつけてきてくれたのです。私たちは,ともに同じ中学同じ部活(吹奏楽部)に所属し,学校の行き帰りもずっと同じでした。そのような仲のよい友人でしたが,中学卒業と同時にそれぞれ違う高校に進学し,その後は10年に1回ぐらい,本当に,ごくたまに会うぐらい疎遠になっていました。彼と最後に会ったのは,およそ15年ほど前で,その後は互いの連絡先がわからなくなっていたのです。

A君は,その後もネットで私の名前を検索しては,私の所在を確認してくれていたようです。それでも,私と連絡を取ることに躊躇があり,そのままになっていたのです。

ある日,A君は,ネットで私の事件を知り,イスから転げ落ちるほど驚いたそうです。すぐに同じ職場の方がこのブログを見つけてくれて,彼は私の記事をみて,公判を傍聴することを決意してくれたのです。本当にありがたく,うれしいことです。

公判日は私に時間の余裕がなく,せっかく出会ったA君と会話することができませんでした。そこで,今日,私は名古屋に出向き,A君と久々に語り合う機会を得ました。気がつけばともに五十路に手が届く年齢となり,周りから見れば「ふたりのおじさんが仲よさそうに話している図」にしか見えなかったでしょうが,当人たちは中学生に戻っていたかのように昔話を楽しみました。

齢を重ねる,ということは,自分の歴史を刻むことであり,その過程で多くの記憶を残します。その記憶には,悲しかったこと,憤りを感じたこと,もたくさんあったはずです。しかし,A君との会話の中でよみがえった記憶には,ふしぎとそのような感覚はありませんでした。むしろ,そのような感情は,いつのまにか楽しかった記憶に変わっていたことに,私は感動を覚えました。

国循官製談合事件(国循サザン事件)で私にかけられた冤罪は,確かに辛く,苦しいものではありますが,これも,いつか楽しい記憶に変わるのだろうな,と予感します。

確かに,傍目にみて,今の私は不幸のどん底にあるように見えるかもしれません。しかし,この事件があったからこそ生まれた出会いには,その不幸を吹き飛ばすほどすばらしいものがあります。

上に挙げたA君のように,旧知の方々との再会もあります。

また,事件の後に得た,新しい出会いもあります。

支援の会は,私が刑事事件で起訴されたことにより休職を余儀なくされた後,とあるコワーキングスペースで偶然知り合った方とのつながりで生まれたものです。私と彼らは,知り合ってからまだ1年も経たない間柄ですが,私にはすでに旧知の仲のような固い絆を感じます。同会のブログ記事をお読みいただければおわかりのとおり,彼らには,私の公判の際,欠かさず裁判所まで足を運んでいただいています。本当に感謝の念に堪えません。

ブログを黙々と読んでくださる方もたくさんいらっしゃると思います。もしよろしければ,私と知り合いの方(もちろん,そうでない方も)Facebookでご連絡ください。少しでも多くの方にこの事件の真相を知っていただきたいと思っています。皆様の声が,私の今後の活動において,大きな心の支えになります。

Facebookをお使いでなければ,支援する会の作って下さったお問い合わせフォームからご連絡ください。(このブログのサイドバーにもリンクがあります)

どうかよろしくお願い申し上げます。

southerncase.shig.org