誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

やっていない罪を認めるわけがない、と思いますか。

「やっていない罪を認めるわけがない、と思いますか。勾留されて取り調べを受けてごらんなさい。あなたもいちころですよ」

 ある冤罪(えんざい)事件をめぐる集会で、虚偽自白を研究する心理学者に言われた。

 一人にされて厳しく追及されるうち、早く逃れたいと思う。そして心がささやく。もういいよ、楽になろう、と。

 それでも、証拠や証言の中には「真実」を示すものがある。しかし、なかったことにされたり、ゆがめられたり。いずれにせよ、真実が明らかになる機会は奪われる。

 数々の冤罪事件が雄弁に、そのことを物語る。

 熊本で起きた「松橋(まつばせ)事件」がそうだ。法廷で無実を訴えながら、殺人罪で服役した宮田浩喜さん(84)の請求を受け、熊本地裁は昨年6月、再審開始を認める決定をした。捜査段階の自白の信用性を揺るがす新証拠が、検察の保管物の中から出てきたのだ。偶然、弁護側が見つけた。

 地裁の決定に対し、検察側が即時抗告、つまり異議を申し立てたため、審理の場は福岡高裁に移った。先月、高裁は「宮田さんは犯人でない疑いがある」との判断を示し、裁判のやり直しを認めた。

 当然の結果だろう。検察はこれまでの主張を繰り返すばかりで、有効な反論をしていない。何のための即時抗告だったのか、理解に苦しむ。

 これが検察の言う「社会正義」なのか。この間に宮田さんは認知症が進み、一緒に再審請求した長男は病死してしまった。そもそも新証拠を含むすべてが最初から開示されていれば、服役することもなかったはずだ。

 静岡地裁が再審開始を決定した袴田事件袴田巌(いわお)さん、鹿児島の大崎事件の原口アヤ子さんについても同じことが言える。ともに高齢で、体調の悪化が心配される。

 すみやかに裁判をやり直すべきだ。検察はそこで主張を展開すればいい。それが「社会正義」にかなう形だ。


https://www.kobe-np.co.jp/column/nichiyou/201712/0010784654.shtml(2021/04/02時点でリンク切れのため、https://web.archive.org/web/20190131054102/https://www.kobe-np.co.jp/column/nichiyou/201712/0010784654.shtml から取得。)

私が勾留中に大阪地検特捜部の取り調べを受けたときは可視化されていたのでずいぶん精神的に助かった。取り調べ検事の口調が任意段階のそれよりも随分優しく、柔らかく変わったからだ。こちらが黙秘していると取り調べの時間はどんどん短くなっていき、勾留期限直前には1時間もないぐらいであった。可視化されていなければ、毎日長時間の取り調べが続けられ、ありとあらゆる手段で「落としに」かかられていただろうと思う。

それであっても、毎日の取り調べは大変辛く、20日間が何と長く感じられたことか。極端にいえば、取り調べさえなければ、勾留などいくら続いたところで大したことない(暑さ・寒さを除けば)とさえ感じられたほどであった。

そういった心理は、そういう経験のない一般人には理解できないであろう。経験した私ですら、当時の辛かった状況を100%思い出せている自信がなくなってきている。