誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

検察側証人の《切り込み隊長》斬られる。

下記の記事をFacebookにエントリした。その趣旨は「してやったぜ!」ということを示すためではない。

彼が検察側尋問に対して行った証言は、検察官が取り調べで作成した調書の趣旨にほぼ沿ったものであったと思う。彼は「証人テスト」も受けていたので、そうなったのも当然だろうと思う。

しかし問題は、その調書が、いかに偏ったものであったか、である。もし、弁護側がその調書の証拠採用に同意していればどうなっていたであろうか。

彼は証人として法廷に立つこともなく、まちがいなく真実は闇に埋もれたままであったであろう。

世を騒がせる冤罪事件では、警察や検察の証拠隠しが話題になることがあるが、それは決して、「偶然、担当した警察官や検察官が悪いことをした」わけではない。

捜査側の意識として、見せたくない証拠を隠すのが《デフォルト=規定値》なのだ。

そしてそれは、被告人本人を合わせてもたかが数名しかいない、資金も時間も限られた弁護団の手によってでしか、明らかにされないのだ。

捜査機関は、税金を使って、大量の資金と人材と投入し、いつまでも時間をかけて丹念に証拠を調べることができる。その間、かれらの給与は当然のように支払われる。

他方、被告人は拘束され、職を失っていることが普通である。公判や公判前整理手続きに、時間がかかればかかるほど、生活は苦しくなり追い込まれる。弁護団は、雀の涙ほどの報酬で、必死になって弁護活動をしなければならない。

これほど不公平なことがあろうか。それを少しでも緩和するはずの「立証責任は検察に」「推定無罪の原則」は、法の実務においては、ないがしろにされている。公判が始まっても、裁判官の被告人に対する心証は真っ黒から始まり、被告人の証言は信用されない。検察の、可能性を尽くさない、不十分な立証であっても、易々と追認する。場合によっては、検察の立証を補ってみせる裁判官もいる。

なぜ、弁護側が、必死になってまで、捜査機関により意図的に隠された証拠を明らかにしなければならないのか。その《おかしさ》に気づいてほしい。

 

ここに出てくる事務方は、検察が最も頼りにしていた重要証人3人のうちの1人。彼は当然のように検察側証人のトップバッターであり、まさに「切り込み隊長」であった。

検察側尋問において、彼は、国循の調達事務の責任者らしく、いかにも堂々とした態度で、はきはきと、「仕様書の作成に、特定の業者のみ関与させるのは不正」「そのような行為は政府調達のルールに反している」「国循は政府調達のルールに従わなければならない」などと、入札の「あるべき論」を証言した。

しかし、弁護側の尋問が進むにつれ、彼の口調はトーンダウンし、言いよどみ、不明確な発言が続くようになった。

  • 彼自身が、過去に「特定の業者のみを関わらせて仕様書を作成」していたことが明らかとなった。
  • 彼自身が「国循が従うべき」政府調達のルールを「勘違い、まあ失念して」、仕様書について公平に業者の意見を聞く機会である「意見招請」行わなかった。その結果、本事件の入札の仕様書が「特定の業者のみ関与」して作成されてしまったことが明らかとなった。

これらは、弁護団が、彼の過去のメールを徹底的に調査して明らかにした事実である。

切り込み隊長が、周到に準備を重ねた弁護団の鋭い「刀」によって、無残にも返り討ちにあった瞬間であった。