勾留生活~時計のない拘置所で時刻を教えてくれるものとは?~
前回のブログでは,勾留生活で一番辛かったこととして,拘置所では時計がなく,時刻を知る手段がないことを挙げました。
ブログを途中から読み始めた方のために:この事件は,私が官製談合防止法違反という無実の罪のかどで起訴され被告人となり,現在,大阪地裁で裁判が行われている事件のことです。詳しいいきさつは,
国循サザン事件―0.1%の真実― | 国循官製談合事件の容疑者として起訴された桑田成規さんを支援します
をご覧下さい。
今回は,この話の続きで,時計のない拘置所にあって,時刻を教えてくれるものがある,ということについて書きたいと思います。
今,前回のブログの内容を少し思い出してみると,それを読んでいただいた方の反応として,
時計がないだけで,そんなにつらいのかい?(たいしたことないよ)
というご意見があるような気がしています。
(私が拘置所で書いた日記に添えた絵です。時計が恋しかった。2014/11/12)
確かに,日常生活での外出時に,たまに腕時計を忘れてしまっても,困る,だけの話で,辛いとまでは感じません。それは,他の手段で時刻を知ることができるからというのは当然のこととして,自分が能動的に行動して外界から刺激を受けられるから(一所懸命になるものや,気を紛らわすものがあるから)ということもあると思います。自由な生活では当たり前のことですね。
拘置所では,すべてが受動的です。自分の意思でできることといったら,部屋の中で軽くストレッチをするか,トイレに座るか,差し入れの本を読むか,手紙を書くか,ぐらいです。部屋の中では,決まった場所に,決まった向きに座っていなければならないので,横になることも自由にはできません。このような環境では,時間の経過がとても遅く感じられるものです。
私の場合は,突然始まる取り調べがとても嫌でした。検事が拘置所に到着し,取り調べの準備ができると,拘置所の職員が私を部屋まで呼びに来ます。職員は,突然,鉄の扉の錠前をガチャガチャと回し,引き戸の扉をガラッと開けて,
調べやぞ
と一言私に告げるのです。職員は常に廊下を巡回しているのですが,その足音が自室に近づくたびに,取り調べかな,と思ってしまうのです。
- 検察は,被疑者を拘束してしまえば,好きなときに取り調べができる
ということを,否が応でも思い知らされた一瞬でした。
このような毎日でしたから,
今日の取り調べまで,あとどれぐらい時間があるのだろう
とよく思いました。もちろん,時計があったとしても,相手がいつ来るかは分からないのですが,毎日,だいたい取り調べが始まる時間は同じぐらいでしたので*1,もし時刻がはっきりわかれば,少しは気を揉むこともなかったかと思います。
しかし,それでも,昼間はまだやることがあり,マシです。就寝時(前夜の就寝時刻以後,起床時刻までの時間帯)は,トイレ以外,身体を起こしていることもできません。身体を決められた向きにして,布団から顔を出してお行儀良く寝ていないといけないのです。暇だからといって,本を読んだり,物を書いたりすることも,もちろん,できません。
前回も書きましたが,夜中に目が覚めて,起床時刻までどれだけ時間があるのかは,窓の隙間からわずかに見える空の明るさで判断するしかありません。私は,拘置所ではなかなか眠れずに夜中に何度も目が覚めました*2。そのたびに暗い空を見て絶望感を覚えていました。
夜が明けてくると,空が白ばむ前に,鳥が鳴き始めます。この鳥のさえずりで目が覚めることもしばしばでした。しかし,それはもうすぐ夜が明けるというサインで,うれしくもありました。
空が明るくなってくると,起床の時間も近づいていることがわかります。もっとも顕著なサインは,拘置所の上空を通る,伊丹空港に着陸寸前のジェット機の音です。運が良ければ,わずかな窓の隙間から機影が見えることもありました。数少ない外界との接点です(いや,接してはいないか・・・)。この音が3回ほど聞こえた後に,起床のチャイムが鳴ります。
このジェット機の音がどれだけうれしかったか。もうすぐ起きられる! 就寝時間に比べたら,日中の方が自由が多いのです。ごくわずかな自由ですが,それでもうれしいことには違いありません。
というお話でした。
現在進行中の冤罪事件『国循サザン事件』についてくわしく知りたい方はこちらからどうぞ。↓